だから人は記録をつけたがるのかもしれない(2002~2004)

2002年夏。僕は以前バイトしてたミネラルウォーターの通販のコールセンターのYさんから「また手伝ってくれない」というオファーを受けて再び千代田区に出勤していた。またカラオケ屋さんからも声がかかりバイトをすることにした。いつも思うのだが、周囲の人に支えられていると感じる。

2003年1月。いつまでこんな生活を続けるんだろう。同級生達はどんどん階段を登っている。焦り・・・。 アルバイト情報誌に載っていた「雑誌制作:正社員」という求人に目が止まった。早速連絡をし、面接をした。僕の他にも20人くらい面接を受けていたらしい。採用枠は1名。他の面接者は経験者だったり、個人でいろいろな活動してたり。しかし僕は受かってしまったのだ。履歴書の文面が良かったらしい。そんなこんなで念願の正社員になった。スーツを買って髪も短くして出社した。しかし現実は甘くなかった。

「雑誌制作」とは名ばかりで、実際には「これはグレーというか黒なのでは?」という仕事。そもそも雑誌なんか作ってないし。凄く怖くなった。感覚的に「これはマズイ」と思い3日でやめてしまった。上司に申し出る時は緊張というより恐怖を感じた。

スーツを買ったりして資金も底をついたので、手っ取り早く稼ぐために引越し屋さんで短期バイトをすることになった。繁忙期という事もあり、週6で働いた。一日3件の引越しをした日も。みるみるうちに筋肉がついた。人生で一番筋肉質な時期だった。体を動かす仕事は楽しく、先輩にも可愛がられ、そして上司に「正社員で」というオファーももらった。「それもいいかな」なんて思ったりも。ただ何か違和感もあった。これでいいのか。自分は何がしたいんだ、何ができるのか?27歳にもなってまだ迷っていた。

引越し屋の短期バイトを終了したあと、再び例のコールセンターで働くことになった。今度は今までと違い、他の部署の仕事などにも参加したりした。この会社で正社員になるのもありかもしれない。そんな風に考えてた。自発的に提案をしてみたり、率先して業務改善したり。自分なりに頑張ってみた。そんな時、会社がコールセンター事業を大阪の支社に移す決定をした。東京のチームは解散し、各部門に異動となることになったのだ。僕は専務に直接掛け合ってみることにした。「僕を正社員登用してほしい。そして大阪に配属してくれ」そんな要求をした。しかし答えは明確なものではなく「考えてみる」という事だった。

混沌とした日が続いていた。そこに久しぶりの友達からメールが着た。かつて新百合丘のバイトを紹介してくれたYからだった。Yがいうには「WEB制作の仕事をしたいので一緒にやらないか」というものだった。どこでどうなったのかわからないが、Yは仲間と会社をやっているという。会社の名前は「忍者システムズ」といった。最近ネット上でちらほら見かける手裏剣バナーのとこだった。

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takanori 机の上に空き缶を置きっぱなしにしたり、机の周りに荷物をいっぱい置いていて注意される人。 詳しくはこちら