新年度から遊撃部門みたいなとこを取り仕切ることになった。その時に作ったのが「Bloglue」で、公式ブログパーツのデザインを一手に引き受けた。また経営企画的な要素もあったので、そのあたりもこなしたり。去る人もいればAluみたいな面白い才能が集まってきたり。
6月、初めて中国に行った。モバイル関連のカンファレンスに招待されたのだ。北京オリンピック前の盛り上がりかけていた北京は情熱と混沌が凄いパワーで存在してて刺激になった。欧米とはまた違った空気感。世界は広い。面白い。この時期、わりと社交的にすごした。初めて会う人や初めての場所。そういうのに貪欲な時期。結構それは波がある。
7月末の株主総会で久しぶりの取締役復帰を果たした。担当は「経営企画」となり、最初の仕事はオフィスの移転の案件だった。池袋のオフィスがいよいよ手狭になったので移転することにしたのだが、なかなか物件が見つからない。池袋は手ごろな広さのオフィスはなく、サンシャインを紹介されたが、ちょっと・・・。やむなく範囲を広げて探し、最終的に渋谷のグラスシティに決まった。決まったのが10月。移転は年末年始という希望があったので内装工事は急ピッチで施工してもらった。僕もアイデアをぶつけて良いものができた。現状回復の事はあまり考えないことにした・・・。
10月くらいから事業の方もみることになった。事業担当兼経営企画。森を見ながら木をみるような感じ。忙しかった。幸いいくつかの種が実り業績は右上がりになっていった。
年末の納会は新しいオフィスで行った。今までのオフィスとは格が違う感じ。ある意味本当の「オフィスビル」に初めて移転したんじゃないかな。それまでは「雑居ビル」の域を超えてなかったと思う。賃料も格段に上がり、経営者としての責任も大きくなった。メンバーがどんどん増えていった。50人規模になっていた。
期末期初、大きな組織変更があった。社内には厭戦気分のようなものがあった気がする。僕自身は夏に体調を崩し取締役を辞した。会社を辞めるつもりは全くなかったので、業務量を多少セーブしながら何か最適なポジションがあればそこで力を発揮できればと考えていた。
Sから「監査役になるのはどうか?」という提案をもらった。監査役にはHarenovさんという経験豊富な大先輩が就いていた。ただ正直もうちょっと監査役とい役割を超えていろいろとアドバイスをもらいたい。そういう風に感じてた。それは僕だけでなかった。そこで僕が監査役に、Harenovさんを取締役にというアイデアが生まれた。監査役という仕事に対してのイメージは全く持っていなかったが、1週間程考え、調べた上で「役割の違いだけで目的は同じ」だと感じ、その申し出を承諾した。新たなチャレンジが始まった2009年11月。
監査役になって感じたのは「今までより会社を俯瞰できる」ことだった。これまでも経営企画などの間接部門から事業を見たことはあったが、結局最終的に事業との境目が曖昧になってしまって、俯瞰できるところまではいけなかった。しかし監査役という特殊なポジションに就いた事により、しがらみがなくなりいろいろと見えた。そして本来の定義的にはしてはいけない「実務」や「指示」なんかも正直相当している(笑)。自分の中では「新しい監査役のスタイルの提唱」なんて言っているけど。←イマココ